不動産コンサルティング研究小論             2015年3月28日

ARGO阿部不動産総合コンサルタント事務所 

泉マックス株式会社 代表取締役 阿部匡博 


 個人の不動産税制の中央・地方政府の多層課税構造

 と個人の不動産税制の現状と課題
  

  〜 地域創生の第一歩として 〜



 この小論は、日本の個人の不動産税制は如何にあるべきかを論じ、個人の不動産税制改革の社会的なインパクトを考える端緒とするものである。現在の日本の不動産税制は、取得時、保有時、譲渡時に課税される仕組みとなっている。この小論では、まず、私が深くかかわったA氏の不動産コンサルティング事例を紹介し、それを通じて高齢社会である現在の日本の社会状況と東日本大震災による被害、晩婚化や家族関係、高齢者の扶養や老後の問題等を垣間見ながら、現行の個人の不動産に対する国と地方の多層課税の実態を確認し、個人の不動産の税制はどうあるべきかという私の持論の結論部分を紹介するものである。事例紹介と持論結論の間の論理的な詳細な繋がりについては、紙面の関係上割愛した。


A氏の事例紹介

 A氏は、昭和十年代半ばの生まれで、地方都市に住んでいた。妻との間に一男一女の二人の子供がいるが、長男は首都圏にて結婚して家庭を持っており、長女は定職には就いていないものの両親の近隣のアパートにひとり暮らしをしていた。A氏は妻と二人暮らしをすべく、先祖代々所有していた土地の上に建築した自宅兼アパートを売却し、平成18年7月に近隣のマンションの建物区分所有権と敷地持分(以下マンションという)を売買にて取得した。この際に特定居住用財産の買換特例制度を利用して、課税の繰り延べを行った。この時点で、マンションはA氏にとって唯一の不動産資産であり、数少ない資産のひとつとなった。A氏は、今後の老夫婦の生活について長女との話し合いを持ち、長女が両親の面倒を看ることを条件として、平成20年3月にマンションを長女に生前贈与し、所有権移転登記を行った。この際には、当然に登録免許税、不動産取得税が発生し、保有期間中は固定資産税・都市計画税(以下固定資産税等という)が課されていることは言うまでもない。A氏は、長女と共に、平成21年3月に相続時精算課税制度を利用して、贈与税納付を相続時に精算することを選択する手続きを行った。
その後、妻の認知症が徐々に進み、身体の一部も不自由な状況となったため、平成22年10月に老人介護施設に入所した。平成23年3月11日に東日本大震災が起きた際、妻は施設で激しく転倒して、頭部を強打し、地域拠点病院に緊急入院したが、震災の翌々日病院で死亡した。妻の死後、長女はA氏を避けるようになり、平成25年に、突然結婚することとなり、父親の老後の面倒は看ることができないことをA氏に告げた。A氏は憤慨しこれを原因として、マンションの生前贈与契約を取り消して、錯誤を原因とする所有権抹消手続きをして、マンションの所有者の名義をA氏に戻した。この際にも、不動産取得税が発生している。加えて、A氏は、生前贈与そのものを取り消したことを理由に、相続時精算課税制度の手続きの取り消しを税務当局に求めたが、税務当局から拒否されている。相続が発生した場合には、その際に改めて手続きを進めざるを得ないとの見解で取消には応じていない。平成26年に、ひとり暮らしに耐えられなくなったA氏はマンションを売却するか賃貸借するか迷った末に、マンションを収益物件として数万円の賃料で賃貸借し、その賃貸収入と年金収入を併せて、入所したサービス付高齢者賃貸住宅の諸費用を捻出して、現在もサービス付高齢者賃貸住宅で生活している。私はA氏と月に一度の頻度で会っている。


私の持論・結論

 冒頭で述べたが、現行の日本の個人の不動産に関する諸税は、取得時、保有時、譲渡時に課税される。その根底にあるのは、不動産の担税力に着目しているという点である。担税力という概念を突き詰めて考えれば、それは、税の「応益負担の原則」の対局に位置し、税負担は、各人が受ける公共サービスの利益とは一応切り離して、各人の税に耐え得る能力に応じて配分されなければならないという考え方に立脚している。そして、それは保有時収益である不動産所得の課税を除いての分離課税が原則とされており、住宅と住宅以外の区別を設けながらその取得時、保有時、譲渡時の担税力に着目しているかのように見える。また、不動産に税金をかける際に、地方公共団体の立場では、登記簿の記載事項の異動に基づいて、都道府県や市町村にその情報が送付され、その内容の異動の事実のみに着目して都道府県は不動産取得税を課税し、市町村は固定資産税等を課税する。物件そのものの評価によって取り扱いを異にすることはあっても、そこに権利変動の原因に対して、その不動産が住宅か否かの外形の区別はしても、自己の使用か収益性があるかの考慮は行われることはない。一方、国税においては、特措法等の整備により、原因の違いや態様によって、一応は一定の枠組みが形造られて来たとみて良いが、特措法という時限的な法制の対応ではなく、不動産の性質に着目した法整備が必要であると感じているのは私だけではあるまい。法人と個人、産業用不動産と生活基盤たる不動産の区別に関して、不動産税制においてより詳細に検討し、一律に不動産に担税力があるものとする前提を見直す時期に来ている。このことは、不動産が証券化を通じて金融商品化された課程において、又証券化された不動産の収益受益権のすべて買い取って、再物件化された課程において、不動産が如何なるものであるのかということが明白になってきた。(この論点については、別稿参照)

 「不動産は究極の特定物」であり、その「多様性、多面性に着目」して適切に担税力を個別に評価する時代である。不動産の収益性に着目して、担税力を見出すのであれば、不動産の担税力の大小は、個々の不動産の収益力の大小と比例していなければならない。それは他の所得と通算されることのない個別な担税力として過大にでも過少でもない状態に評価されて課税されるべきである。
一方で、不動産の収益性のみに着目することは危険であって、個人が不動産を取得・保有・譲渡する緩やかなサイクルを確立する必要がある。そのための方策は、取得時の課税は低水準に、保有時の課税は中水準に、贈与相続を含む譲渡等においては、思い切った高水準での課税をすべきとの結論である。不動産のキャピタルゲインは、所有者の努力というよりも社会全体で享受すべきものであることは、当然のことである。個人が不動産資産を取得しやすくし、法人と異なり、いつかは死亡するという個人の終局時点で、公共財としての不動産を地域社会の発展の成果のひとつとして精算する。高額の納税を回避したい個人は、より高額の価格で不動産を売買することを必要以上に模索しなくなり、個々の不動産の流動性は現行よりも高まると予想される(法人保有の論点は本小論では割愛する)。


 
勿論、私は相続制度の前提である私有財産制と私的自治を否定するものではない。ここで正確さを欠くことを恐れずに敢えて大胆に結論を表現すれば「志ある者が取得しやすく、才覚のあるものが保有して有効に活用し、収益を上げて、しっかり納税し、一定の時期に自身の判断で死亡(相続)前に志のある者へ手渡す」仕組みを作ることなのである。

不動産は、動産とは明らかに性格を異にした公共財の側面を多く含んだ財産である。国民の全体の財産でもある不動産を高水準に活用するための安定的な特措法ではない個人の不動産税制を確立し、その安定的な税制を信頼した個人が新しい不動産の活用に向かって挑戦する社会こそが地域創生の本当の姿である。

   個人の不動産税制改革は、それぞれの地域において、「よし、私がやってやる」という挑戦の気概にあふれた個人が活躍できる社会の基盤整備の第一歩であり、これが鍵なのだ。